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8. 光格子中の冷却原子

― 光トラップと光格子 ―

レーザー光が作る「卵パック」に冷却原子を入れて作る自由自在の「人工量子物質」。その重要な応用先として「光格子時計」などがあります。

光トラップと光格子

 レーザー冷却と呼ばれる技術を用いると、 原子の温度をマイクロケルビン ~ ナノケルビンという極低温まで冷却することができます。 このように原子の温度が非常に低温になると、原子を光で捕まえることができます。 これを光トラップと呼びます。 原子の種類と使用するレーザーの波長にもよりますが、原子は光が強いところに集まります。図1のようにレーザー光を鏡で打ち返すと、入射した光と反射した光が重なり合い、動かないレーザー光の波:定在波ができます。定在波では「腹」の部分で最も光強度が強く、「節」の部分では光強度が常にゼロになるため、原子はこの定在波の「腹」の部分に集まります。言い換えれば、原子が集まりやすい場所と原子が集まりにくい場所が交互に出現することになります。このレーザー光の定在波が作る「周期的な」光のポテンシャルを「光格子」と呼びます。

図1:レーザー光の定在波が作る光格子(画像提供:大阪大学 中島秀太)

光格子中の原子と結晶中の電子

 光格子用のレーザーが1本のみの場合は1方向の周期ポテンシャルができるだけですが、角度を調節して複数のレーザー光を組み合わせることで、様々な形の光格子ポテンシャルを準備することができます(図2)。例えば、対向するレーザー光3組を互いに直交するように組み合わせると原子に対する3次元立方格子型の光格子ポテンシャルを作ることができます(図2(c))。光格子中の冷却原子系は「卵パック」に入った卵(図3)をイメージすると分かりやすいかも知れません。卵パックが光格子ポテンシャル、卵が冷却原子です。ただし、卵パックでは卵は凹みの部分に収まって動きませんが、量子の卵パック(光格子)の中の卵(冷却原子)は、「トンネル効果」により凹みと凹みの間を動くこともできます。実はこれ、固体(結晶)中で電子が運動する時と同じです。すなわち、光格子中の冷却原子のふるまいを観察することで、固体(結晶)中での電子のふるまいを予測することができるのです。

図2:レーザー光の組み合わせで作られる様々な光格子(画像提供:大阪大学 中島秀太)
図3:卵パック

光格子中の冷却原子を用いた量子シミュレーション

 光格子中の冷却原子のふるまいを観察することで、固体(結晶)中での電子のふるまいを予測することができる、と書きましたが、より正確には、光格子中の冷却原子系は「ハバード模型」とよばれるモデルで記述される固体中の電子とよく対応しています。少し難しいですが、このハバード模型(図4)のハミルトニアン(ここではエネルギーと思ってくれて良いです)は以下の数式で書かれます。

 H=tijcicj+Ui,σ=↑,nini

 ここで第1項はトンネリングを表し、電子がトンネリングで「波のように」広がるとエネルギーが下がる効果を表します。第2項は電子同士が反発する効果を表しています。電子が他の電子とは重ならず、「粒子として」1個だけポテンシャルの凹みに局在する場合には、電子は互いにぶつからずエネルギーが下がります。ハバード模型で記述される代表的な物理系は銅酸化物高温超伝導体です。ハバード模型は電子の波としての性質と粒子としての性質の両方を考慮して計算しないといけないため、サイズが大きくなると従来のコンピュータでは計算が難しくなります。光格子中の冷却原子系を用いることで、ハバード模型の量子シミュレーション(リンク)ができると期待されています。

図4:光格子中の冷却原子系とハバード模型(画像提供:大阪大学 中島秀太)

光格子時計

 光格子中の冷却原子のもう一つの重要な応用先として「光格子時計」があります。光格子時計は、レーザー冷却された原子(ストロンチウム原子やイッテルビウム原子が使われることが多い)を光格子でトラップし、その原子たちの共鳴遷移(時計遷移)の光周波数を基準とする原子時計です。従来の原子時計と異なり、十分深い光格子中では、1個1個の原子が互いにぶつかったり動いたりしない状況で共鳴遷移を測定できるため光周波数の測定精度が上がります。さらに「魔法波長」と呼ばれる特殊な波長の光で光格子を作ることで、測定のバラつきを減らすことができます。2003年に基礎実験が成功し、2015年には宇宙年齢(推定138億年)経過しても1秒もズレない18桁の精度に到達しました。セシウム原子時計に替わる「秒の再定義」の有力候補として期待されています。

中島秀太
執筆:中島 秀太(大阪大学 量子情報・量子生命研究センター)